忙しい母に代わって、幼い私を育ててくれた婆ちゃんの意識がなくなった。
19年前、富山を離れ東京に出る時、私はこの瞬間を想像して泣いていたんだ。婆ちゃんに何かあった時に直ぐ駆けつけられない、そんな場所にお前は向かっているんだ。それも覚悟で向かっているんだろ!忘れんな、それを心に刻め。
身体が弱かった私を毎日のように病院に連れて行ってくれた爺ちゃんからは、「東京に行って歌手なんぞ、ロクでもない。行くなら勘当だ」
嗚咽しながらの上京だった。
その瞬間がとうとう来てしまった。
婆ちゃんの様子がおかしい、危ないかも知れない。東京にいた私に、その連絡が入ると同時に止まった婆ちゃんの呼吸や心臓は、弟の呼びかけと、スマホから母が流した私の歌で、もう一度動きだした。
婆ちゃん、ごめん。私の為にもう少し待っていて。そんな気持ちで東京から車を走らせ駆けつけた。
辛いから早く楽になりたいだろうに、声をかけると反応して、少し言葉を発したり、笑ったり、目をパチパチ開けたり、側にいると、また意識が戻って、元気に話が出来るんじゃないか、って思わせてくれるくらいだった。
婆ちゃんの温かい手や頬に触れられて、私が自分を責めないように、生きて待っていてくれたんじゃないか、と思えた。
婆ちゃん、ありがとう。
いつでも人のこと。
いつでも孫のこと。
だから、きっとこんな時も…
自分より、常に人のことを気にかける婆ちゃんだった。だから、病室は人がいっぱいだった。
可愛らしくお茶目で無邪気な婆ちゃんだった。
私の足が冷えないように、冬の廊下を歩く時は、自分の足の上に私の足を置かせ、婆ちゃんが代わりに歩いてくれた。
ここ数年は、私に会える度に、「あーあっちゃんだ」と私の手を握りながら嬉し泣きをして歓喜あまって倒れそうになっていた。
本当に婆ちゃんに愛されていた。
婆ちゃんが、私の1番のファンで居てくれた。
私が書いた手紙をいつもバックの中に入れてお守り代わりにしていた。
「私は世界一の幸せ者や」とおどけてくれていた3日前の電話が信じられない。
波瀾万丈な人生を、可愛い笑顔でお茶目に生き抜いた婆ちゃんの、最後の言葉は、家を継ぐ為に養子に入ってくれた孫の子供達(曽孫達)に、深く頭を下げながら言った、「宜しくお願いします」
になった。
安らかに、どうか安らかに眠ってください。
ありがとう。
出来れば、いつまでも空の上から見守っていてください。
とても貴方のような仏様みたいな人にはなれないし、孫や曽孫にまで何かを残せる生き方は出来ないけれど、貴方に育てて貰ったことを誇りに、貴方から学んだように、人を愛して、人を愛して、出来るだけお茶目に生きていきます。
幼い私のママだった大好きな婆ちゃん。
ありがとう。ゆっくりとおやすみなさい。
私も大好きな、おばあちゃんでした。
すごい可愛いおばあちゃん。
天国に召されてもきっと暖かく見守ってくれてるんでしょうね。
ご冥福をお祈りします。
あゆみさん
ありがとうございます。
きっと、皆んなのことを見守っていると思います。